EDIUS®プラグインとして機能するAI自動モザイク処理ソフトウェア「Smart MP」。従来は長時間を要したモザイク作業を約4分の1に短縮し、放送・映像制作の現場に新しい働き方をもたらしている。開発の背景には、放送業界に深く関わってきた開発チームの知見と、AI技術による業務革新への挑戦があった。

放送や映像制作の現場で、モザイク処理は避けて通れない作業だ。街頭インタビューでの通行人の顔、報道映像での関係者、車のナンバープレートなど、これらすべてにモザイクをかけるには膨大な手作業が必要となる。
「モザイク処理は非常に時間がかかるものでした。大勢の人物が映っている場面では、一人ひとりモザイク処理をする必要があり、作業が深夜までかかることも。現場では改善を求める声が絶えませんでした」
そう語るのは、Smart MPの製品企画を担当した多賀圭嗣(事業本部IVA戦略事業ユニット サブマネージャ)。2014年の入社以来、放送・映像制作分野のソフトウェア開発に携わってきた多賀は、現場の声を直接聞く機会が多かったという。
具体的な数字を見ると、その負担の大きさは明らかである。30分尺の動画にモザイクをかける場合、従来は丸1日(約8時間)を要していた。複数の人物が動くたびに追従させる作業は、編集者にとって大きな負担だった。
「編集作業が深夜まで及び、納期に間に合わせるために徹夜せざるを得ないことも。これは放送現場にとって深刻な課題でした」
ISPは以前からGrass Valley EDIUSをはじめとして様々な映像編集ソフトウェアのプラグイン製品を多数開発してきた。「ROBUSKEY for Video」や「珠肌 for Video」など、クロマキー合成や美肌処理を実現する製品群である。
その開発過程で、手動でモザイクをかけるソフトも手がけており、ここにAI技術を組み合わせれば自動化できるのではないか——そんな発想が生まれた。
「これまでの経験から、『AIを活用すれば自動モザイクソフトが実現できる』と確信し、開発をスタートしました」
技術的な背景として、2014〜2015年ごろ、ディープラーニングの発達により顔検出・トラッキング技術の精度が飛躍的に向上したことが追い風になった。一方で当時の放送市場は、製造業などと比べてAI導入が進んでおらず、保守的な傾向が強かったという。
「放送現場では、コンテンツ制作において瞬時の判断と正確な対応が求められるため、既存の運用を変えることは容易ではありません。AIのような新しい技術を受け入れるにも、高いハードルがありました。だからこそ改善の余地が大きかった。モザイク処理のような作業は特に時間がかかっており、一番効率化できそうな部分はここじゃないかと思いました」
2020年、ISPは試作段階のSmart MPを展示会に出展。市場の反応を探る試みは予想を上回る反響を呼んだ。
「現場の方々から『こういう製品を待っていた』という声を多数いただきました。現場の課題を改めて実感し、対応できる製品がほとんどない現状を前に、本格開発に踏み切ったのです」
企画から展示会出展まで数ヶ月、その後約半年をかけて製品化——ISPでは年に数回、定期的に新しいプロトタイプを出展し、反応の大きかったものを製品化するスタイルを取っている。Smart MPもその一例だった。
Smart MPの最大の特徴は、Grass Valley EDIUSのプラグインとして動作する点にある。
「報道に強いEDIUS。その編集ソフト上でシームレスにモザイク作業ができるのは大きな強みでした」
ISPはEDIUSの専用SDKを熟知しており、長年の開発実績がSmart MPのスムーズな開発を支えた。
さらに、NVIDIAのGPU高速化技術CUDA®を活用し、レンダリング不要でリアルタイムプレビューが可能に。通常であればレンダリングが必要な重い処理も、Smart MPではその場で確認できる仕様を実現している。

開発初期には技術的な壁もあった。顔検出AIを用いた当初、人物が後ろを向くとモザイクが外れてしまう問題が発生したのだ。
「開発初期はモザイクの精度に課題がありましたが、改良を重ねて、前後左右どの向きでも安定して処理できるAIエンジンを開発しました」
検出精度の向上により、人物がどの方向を向いていても、安定したモザイク処理が可能になった。AIの学習には数千から数万パターンの画像データを使用し、帽子をかぶっているケースなど多様なデータを反映させている。
「R&Dチームが常に最新の物体検出技術を研究し、最も精度の高いモデルを採用しています。学習データの精査も含めて、日々精度向上に取り組んでいます」
現在、Smart MPがモザイクをかける対象物の検出精度は約99%。顔、全身、ナンバープレートの3種を標準でサポートしている。
2024年版で搭載された「なんでもモザイク」機能は、業界初の画期的な機能だ。ユーザーがわずか10枚ほどの画像を学習させるだけで、名札やロゴなど特定対象を自動検出できる。
「名札や製品ロゴなど、顔以外のものにモザイクをかけたいというニーズが意外と多かったんです。学校行事の映像で名札を隠したいという要望もありました」
この機能にはISPの独自技術「REEL」を応用。外観検査AI「gLupe」などの他製品で開発した少量学習技術とUIを流用することで、スムーズに実装できたという。

Smart MPのAI処理エンジンは、すべてローカル環境で動作する。クラウドサーバーを介さないため、素材を外部に持ち出す必要がない。
「放送局は素材を外部サーバーに持ち出すことに強い抵抗感を持っていました。素材はローカルネットワーク上のNASで管理したいというセキュリティ要件に応えるため、完全にオフラインで動作する設計にしました」
Smart MPはAIがすべてを自動で処理するわけではなく、必ず人の目で確認・修正できる設計になっている。
「開発初期から『AIにやらせると誤検出が怖い』という現場の声がありました。そこで私たちは、AIに任せきりにせず、人がプレビューで確認しながら必要に応じて修正できるようにしています。修正操作もできるだけシンプルにする——それが開発の基本方針です。」
もしAIがモザイクをかけ損ねた部分があっても、その箇所にドラッグ&ドロップで手動モザイクを追加するだけで、以降は自動で追従してくれる。この「人とAIが協働する『半自動』の設計」こそ、慎重な現場にも安心して受け入れられた理由だ。
Smart MP導入によって、30分の動画のモザイク処理にかかる時間が、8時間から2時間に短縮——作業時間を75%削減した。

「徹夜を覚悟していた編集が、Smart MPのおかげで2〜3時間で終わったと聞いたときは、本当に嬉しかったですね」
Smart MPは、全国の放送局で導入が進んでいる。
2025年には、株式会社テレビ朝日の報道フロアにおける編集機全台へ導入され、運用が始まった。
報道の現場では、その日のニュースをその日のうちに放送する必要があり、常に時間との戦いが求められる。Smart MPは、こうした現場ニーズに直結し、圧倒的な効果を発揮している。
Smart MPの開発チームは現在3名体制。多賀を中心に、開発リーダーとエンジニアが連携し、製品リリース前にはAI担当エンジニアも加わり、体制を強化した。
開発の最大のテーマは「精度」と「スピード」の両立である。
「精度を上げると処理時間が伸び、短縮すると精度が落ちる。そのバランスをどう取るかを議論しました」
最終的に、用途に応じて選べる2つのAIモデルを用意——速報性を重視する高速モデルと、精度を優先するモデルの2種類を備え、ユーザーが目的に合わせて選択できるようにした。
「映像制作の現場では、状況に応じて求められるものが違います。だからこそ、AIの動作を固定せず、ユーザーが目的に合わせて最適なモードを選べるようにしたのです」
製品リリース後も、ユーザーの声をもとに年2〜3回のアップデートを継続。UI改善や新機能の追加を重ねながら、進化を続けている。
現在はAdobe® Premiere®やAfter Effects®への対応も検討中だ。
「EDIUS以外でも使いたい」という声が多く、次の展示会では、Adobe版の試作品を公開する予定である。
また、放送局などの編集システムを持つ顧客向けには、オンプレミスのサーバーによるバックグラウンド処理に対応したシステムプランも提供されている。AI解析の処理時間を待つことなく、サーバー側で自動処理できるため、編集者は確認と修正だけに専念できる。
「AI技術を使ってお客様の業務効率化や省力化を実現することを目指しています。単純作業はAIに任せて、人はもっとクリエイティブな業務、人でしかできない業務に集中していただく——そういう世界を作りたいんです」
多賀の言葉には、AIと人の共存による新しい働き方への確信が込められている。
Smart MPの開発を経て、多賀はISPの強みをこう語る。
「放送業界で長年培った実績とEDIUSプラグインの豊富な開発ノウハウ。国内でこれほど多くの製品を出している企業は他にありません。現場を深く理解し、課題に応える製品を開発できることが、私たちの強みです」
Smart MPは、ISPが自社研究開発として磨き続けてきた映像処理技術と経験が結実した製品である。
モザイク処理という一見地味な作業の自動化——しかしその背景には、深夜残業に苦しむ編集者の働き方改革、報道の速報性向上、放送品質の維持といった重要な課題があった。Smart MPは、AIという最新技術と長年培った映像処理の知見を組み合わせることで、これらの課題に真正面から取り組んだ製品だ。
Smart MPが示すのは、人とAIが協働し、それぞれの強みを活かす、新しい映像制作の未来である。
※EDIUSは、Grass Valley社の登録商標です
※CUDAは、NVIDIA Corporationの登録商標です
※Adobe、Adobe Premiere、After EffectsはAdobe(アドビ社)の登録商標です。
2025年10月
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